茶の湯は長い歴史の中で積み上げられた日本人の良識と美質の精華といえるでしょう。ベウラの郷では、自作を取り混ぜながら、四季折々に山家の茶事、茶会を行ってまいりました。茶道の稽古も行っております。

「ベウラの郷」  山桜茶会
茶室 紅葉の頃 扁額は「天然」
茶席 初夏
夏席
初釡
初釜風景
クリスマスの夜噺茶事
クリスマス夜噺茶会 懐石
山庭門
やつれ風炉
扁額「天然」

蒲生氏郷公顕彰茶会 太玄和尚と社中の記念撮影 黄梅院門前にて

茶会 自作茂木焼締め平水差し 古芦屋風炉釜と置き併せて。

『日本の歴史の中で、桃山時代、茶道が千利休によって大成されてゆく三十年ほどの時間と、フランシスコ・ザビエルによってもたらされたキリスト教が隆盛となるころが奇しくも重なり合う。それから四百年ほどの時間が過ぎたが、近年、特にキリスト教と茶道の関係性が問われ続けている。
茶の湯とキリスト教の出会いとは何なのであろうか。巡察使ヴァリニャーノは、茶の湯とキリスト教の間にどのような同一性を見て教会に茶の湯を採用したのだろうか。当時とは全く変わってしまった現代社会の中で、その両者はどのように関わり合うのであろうか。』

『ミサと茶の湯』 椿巌三著
前書きより

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